お酒たっぷりでぐっすり寝た朝。
ベッドもふかふかで大満足の一夜を過ごした。
シャワーを浴びて、朝食へ行こう。
朝食もおいしい。ここのホテルはご飯がうまい。
このホテルは通常期間は朝食はバイキングで、かなり評判がいいと聞いた。
今度来るときもぜひこのホテルに泊まりたい。
さて、ホテルをチェックアウトして、旅の再開だ。
乗り残しのBRT区間、盛駅まで乗ってみよう。
盛駅まではたった3駅。6分ほどの乗車だ。
盛駅に到着する。
ここも気仙沼駅と同様にホームを道路化したBRT駅だ。
こ線橋もそのままに、BRT化されているのはなかなか変わった光景だ。
ここから折り返し。三陸鉄道はまたの機会に乗りに行こう。
昨日は真っ暗で見えなかった光景。
大船渡の街を出て、視界には海が広がる。
あそこに浮かぶのは牡蠣筏だろうか?
朝の光を浴びてきらきら光る海。
これが、9年前には・・・
BRTは一般道に降りて、陸前高田の街を目指す。
降りる駅は「奇跡の一本松」だ。
到着する直前、巨大な廃墟が目についた。
道の駅高田松原。
東日本大震災の津波を受け、このような姿になってしまった道の駅だ。
ここは震災前は高田の松原で有名だった場所。
その松も、1本を残して現存しない。
周囲には何もない、開けた場所が広がる。
震災前には、人の営みがあった場所だ。
廃墟となった道の駅高田松原の隣には、移転された道の駅高田松原、そして東日本大震災津波伝承館がある。
陸前高田に来た目的の一つがここだ。
津波伝承館に入ると、生々しく押しつぶされた消防車が目に入る。
避難誘導に最後まで携わって犠牲になった消防団の人も多いという。
10年以上前、自分はここを列車に乗って通り抜けた。
途中で地震があって、津波への警戒のために途中の駅で長時間停車したことまで覚えている。
たしか、その時停車していたのは吉里吉里駅だったか。
その名前が入った駅名標が目の前にある。
あの時見た沿線風景は、二度と見ることのできないものになった。
津波伝承館を出て、駅名の由来の「奇跡の一本松」へ。
ただ、周囲は整備中ですぐ近くには歩み寄れない。
奇跡の一本松の他にも、ユースホステル跡やさきほどの道の駅高田松原跡も、震災遺構として残していく計画らしい。
慰霊施設でもある、海を臨む場。
広がる海は青く輝いて、津波伝承館で見た真っ暗な波が押し寄せた海と同じものだとは思えないくらいだった。
震災から9年。
この施設もまだ建設中のところがあり、完成していない。
昨日今日と見た風景でも、海沿いに巨大な防波堤の建設が進みつつある。
風景は常に変わりゆく。今日眺めた風景が、次来た時に残っているとは限らない。
海を臨む場で、元気に走り回っている子供がいた。
親戚の家に遊びに来たのか、会話が聞こえてくる。
「大きくなったね。何歳になったの?」
「7歳!!」
そうか、震災の後に生まれた子も、こんなに大きくなったのか。
もう一度海を振り返ってから、この場を後にした。